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2019/08/21

8月のワンショット【ユニセフと私の想い】

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人間が争いのない平和な生活をするためには、幼少期の正しい教育が不可欠であると思っています。

ユニセフの活動は貧しい国々で、学校に行きにくい子女の教育に尽力していると思います。

その理念に賛同下さる大人たちが一人でも多くなることを願っています。

私の幼少期は敗戦後の貧しい生活でした。

果樹園は伐採されサツマイモ畑になり、飢えていた日本人には食料増産が急務でした。

大きく育つ農林1号という苗が植えられ、収穫されたサツマイモは都会(東京)に送られていました。

きっと多くの子供たちの飢えを癒しただろうと想像しています。

田舎でも学校の弁当はサツマイモであったことも度々ですが、弁当泥棒もたまに起きた。

農家ですから農繁期は猫の手も借りたい状態です。

小学生の私や兄弟も野良仕事の手伝いは否応なしです。

夏休みともなれば草取りなど、朝から晩まで野良仕事です。

トラクターなどありませんから、すべて手作業か家畜の力を借りる程度でした。

せめて高校まで行かせてあげたいと考えていた父と母は、豚や牛、ヤギや鶏を飼いヤギの乳は家族で飲み、鶏のたまごは貴重な食材だったので温泉旅館に買い取って頂いていた。

その運搬役は私たち子供です。

敗戦後の生活物資は配給制度で限られた量しか手に入りません。

家族が多かった私たちは、砂糖が余ったのか、余らせたのか、その砂糖を和菓子屋で買って頂いた。

その和菓子屋は大喜びであったに違いありません。

こうした売り先も父が開拓したのだと思います。

父と母が色々な工面をしてくれたおかげで私たち兄弟6人は全員高校を卒業することが出来ました。

10年ほど前、小中学校の同窓会が開かれた時「中島さん!私たちは高校まで行かせてもらって本当に良かったね~」と言っていた人がいました。

貧しい国々を旅行して子供たちを見ると、私の幼少期と重なって身につまされるのです。

父が私たちに施したように、世界中の貧しい国々で一人でも多くの子どもたちが学校に通えるようになることをユニセフに期待しているのです。

写真・ブログ→会長

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